※未来※
ハートフル・ナイト


着替えが終わってバスルームのドアを開けると、奥から誰かの声が聞こえてきた。
今、この部屋には2人しかいないはずだけど、これはもちろんあたしのじゃないし、昨日からこの部屋に泊まってるあいつのものでもない。
――たぶん、声っていうより"音"に近いんだと思う。本当ならはっきりとした発音で聞きやすいのに、今は音量が小さくて何を言っているのかよく聞き取れない。画面は、ほぼ真横に近いこの角度では見えないけど、映像に合わせて言葉が一方的に読み上げられているんだろう。
シンジがテレビを見てるんだ。そう気づくのに必要だった時間はほんの一瞬。

あたしはその横顔に近づきながら、


「なにか面白いの、」


やってるの?と尋ねた後半の言葉に被さるように、ブツンと大きな音を立ててチャンネルが変わった……というか、変えられた。
今画面に映っているのは有名な歌番組、それも1番盛り上がる終盤で、大人気のグループがヒット中の新曲を歌うところだったけど、そのグループにも曲にも興味がないシンジはどうでもよさそうに視線を外して、テレビのリモコンを軽く放った。ほぼ同時にそれは彼の腰掛けているベッドへと落ちる。
唐突な行動を不可解に思ってあたしは首を傾げた。確かにあたしはこの番組を好きでよく見てるけど、だからってシンジはわざわざこんなことする奴じゃないからだ。


「…どうしたの?」
「別に」


質問をしてみても、あまりに短い言葉を返されただけで会話は終了。しかもその態度が「これ以上聞かれても何も答えないし会話を続けるつもりもない」って強く主張していて、なんだか怒るというより呆れてしまう。
何をそんなに隠したいんだろう?…気になるけど、こうなったらそう簡単には聞き出せないのは随分前に学習済みだ。…さて、どうしようかなぁ。

ふと、ベッドサイドの机に置かれたデジタル時計に目をやれば、"あの時間"がもうすぐそこに迫っていた。急いであたしはシンジの横に座り、転がっていたリモコンを取る。これを手放したってことは、シンジが今日見たいテレビはもうないってことだ。なら、あたしが何を見ても文句は言わないはず。
チャンネルのボタンを押すと、前番組が丁度終わったところだった。少し間を置いてジュースのCMが流れ出す。早く始まればいいのに。はやる気持ちと楽しみが相まって頬が緩む。
そこで、一連の動作を横目に見ていたシンジが口を開いた。


「何を見るんだ?」
「こないだやったコンテストの特集!ジーニアスカップって大会でね、あたし優勝したの。その時インタビューも受けてて、次回一緒に放送しますねって――」


あたしが言えたのは、そこまでだった。


左肩に体重が掛かる。突然すぎて対応なんて出来るわけもなく、そのまま力に従ってベッドに仰向けに倒れた。同時にブツンとさっきも聞いたような音がして、それを最後にテレビからは何も聞こえなくなった。
あたしの手から奪われて役目を終えたリモコンが視界の左端に消え、ベッドサイドの机に置かれる。手を伸ばせば届くかもしれない位置だけど、そうはできなかった。すでに両手を抑え込まれてしまっている。
あたしは覆い被さって見下ろしてくる2つの目を睨みつけた。


「…離して。テレビ見たいの」
「駄目だ」
「なんでよ!シンジだってさっき何か見てたでしょ!」


あたしだけダメなんて、と言うとシンジはふいっと視線を逸らし、不愉快そうに顔をしかめてぼそりと言った。


「あんなものをもう一度見るつもりはない」
「…もう一度?」


思いもしなかった言葉を繰り返す。
…そういえば、インタビューを受けたのは1コだけだったけど、コンテスト自体はいくつかの番組が撮影していた気がする。
もしかして、さっきシンジが見てたのって、あの時のコンテスト?それをもう一度見るつもりはないって。
……もう二度と、見たくないってこと?
被害妄想だと言われれば確かにそうだけど、そのまま流せるほど小さな言葉ではない。


「あんなものって、何。そんな風に言われる演技じゃなかったわ」


少し声を荒げて言い返す。あたしだって上を目指すコーディネーターの1人だ。演技を客観的に見られないほど、もう子供じゃない。だからこそ、あの演技にケチを付けられるのは許せなかった。 けど、シンジは「そういう意味じゃない」と言って視線を戻した。さっきと同じように視線が交差する。…違う、微妙に噛み合ってない。
見ているのは…あたしの、手?


どうしてだろう、と思ったその瞬間。
シンジが動いて、あたしの右手に顔を近づけ――掌に唇を押しつけた。


「…っ!」


あたしは叫び声を上げるのを何とか堪えて飲み込んだ。でも、顔が赤くなるのを止めるのは無理だ。くすぐったいような、そうでないような、柔らかい感触がする度に顔が熱くなっていくのが分かる。
しばらくして影が動いた。終わったのかと思ったら、間もなく左手に同じ感触が落ちてきて、心臓が跳ねた。


「シ、シンジ」
「…なんだ」
「なんだ、じゃないわよ。どうしたの一体」


なんだかやけに恥ずかしくて声を掛けたら、シンジはようやく体を起こした。そうして今度はあたしのほうを不機嫌そうにじっと見つめ、ぼそりと呟く。


「…決勝戦の後」
「え?」
「握手しただろ、あの温いコーディネーターと」


急いで記憶を遡る。…そう言えば、そうだ。バトルの後に手を差し出されたから、普通に握手をした。あれは確かに両手だった。そして相手は男の人。
――まさか、その時の映像を?


「シンジ、それ見たの?」


返事はない。でも、今の状況でそれはどう考えても肯定で。
あったかい気持ちが胸にこみ上げる。堪えきれずに声を上げて笑うと、シンジはさらに不機嫌な表情でなって睨みつけてきた。


「……笑うな」
「だって!それってヤキモチ」
「言うな」
「はーい。…ねぇシンジ、ちょっとだけ手離して?」


片手でいいから、と言うと、右手を押さえつけていた力が抜け、ゆっくりとシンジの手が離れていく。こっちの手ならリモコンは取れないだろうと考えたからだと思うけど…そんなことしないよ、とあたしは心の中だけで笑った。


この、照れくさいけど嬉しいような、すごく幸せな気持ちをなんとかして伝えたい。
それはいろんな方法で出来るけど、今は、この方法が1番いいと思うから。


完全に手が離れる。すぐに、あたしはシンジの肩を掴んでぐいっと手前に引いた。流石に女の子の力じゃ体は倒れてこないけど、どうやら意思は伝わったらしく、シンジは驚いたように目を見開いて――口の端をほんの少しだけ持ち上げて、笑った。

ゆっくりと近づいてきたシンジの唇とあたしのそれが重なる。一回目は軽く触れるだけ。二回目はそれより長く、三回目はもっと長く。そして四回目は、深く深く深く。
また顔が熱くなってきて、頭が真っ白になって何も考えられなくなってくる。



それでも、互いの右手はしっかりと指を絡めたままだった。


磐木虎太さんのみお持ち帰り可能です。
リクエストに沿えてなくて本当にすいませんorz
題名の『ハートフル』は『心のこもった』という意味です。作品中では、嫉妬やら喜びやら邪な心やら(笑)いろいろです。
そしてお祝いの心を込めて。虎太さん、おめでとうございます!



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